新野左馬助とは~今川家から送られた目付である新野親矩が井伊家を救った?


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新野左馬助(新野親矩)とは

新野親矩(にいの-たかのり)は今川家の一族で遠江小笠郡の新野新城主(舟ケ谷城主)。
生年は不詳。
正室は奥山朝利(奥山因幡守朝利)の妹とされる。

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なお、新野家は代々・新野左馬介(新野左馬助)(にいのさまのすけ)と称しており、御前崎付近となる新野舟ヶ谷城主(新野新城)で、新野村3000石を治めていた。

舟ヶ谷城は、すぐ東側にある八幡平の城の方が有名な事もあり、遺構も良くわかっておらず、謎が多い城となる。

それ以前の問題で、新野左馬助(新野親矩)の屋敷跡・新野家の墓所・菩提寺なども良くわかっていない。

大河ドラマ「おんな城主・直虎」の放送開始に合わせて舟ヶ谷城は地元の方々などにより整備されたようで、津島神社の駐車場から10分ほどで本郭まで到達できる。

まぁ、もっとも普段は館の館で生活していたことであろう。

1562年、織田信長との桶狭間の戦いで主君・今川義元が討死した際、新野親矩の妹(祐椿尼)の嫁ぎ先である、井伊直盛も討死するなど、今川家は手痛い敗北を喫した。
今川家の家臣が相次いで武田信玄や松平元康(徳川家康)へと離反するなか、新野親矩(新野左馬助親矩)は今川氏真に忠節を尽くしている。

桶狭間の戦いのあと、親戚でもあった井伊家の家督を継いだ井伊直親が、その家臣・小野政次(小野道好)の讒言があり、朝比奈泰朝によって誅殺されてしまう。

この時、1563年、新野親矩(新野左馬助・新野左馬介)は寿桂尼や今川氏真に命に代えて願い出て、亡き井伊直親の遺児・万千代(井伊直政)救いも自ら養育した。

しかし、1564年9月15日、今川氏真に背いた引馬城主・飯尾連竜を攻めた際に、中野直由(中野信濃守)と共に東天間橋、天間橋(安間橋)付近にて討死した。

別の説としては永禄8年(1565年)12月20日に、飯尾連竜が駿府に赴いた際、今川氏真の命にて新野左馬助が滞在先の屋敷を襲撃し、その際、飯尾連竜の妻・お田鶴の方は薙刀を手に戦い、新野左馬助(新野親矩)は討死したともされる。

妻である奥山朝利(奥山因幡守朝利)の妹は、幼い井伊直政の身を案じて、叔父である浄土寺の僧侶・珠源に預けて出家させた。

この珠源は、のちに僧籍のまま井伊直政に仕えたようで、切符衆として30石、5人扶持との記録がある。

なお、下記の写真のように井伊谷・龍潭寺の井伊家臣の墓所に、新野親矩(新野左馬助)の墓もある。

なお、新野左馬助(新野親矩)の唯一の男子とされる新野甚五郎は、徳川勢として小田原城を攻撃した際に討死したともある。

また、新野左馬助には娘が何人もいたが、ひとりは北条氏直の家臣・狩野主膳と結婚していたようである。
この狩野主膳は、八王子城主・北条氏照の重臣である狩野一庵の子ともされる。
※狩野一庵が北条氏照の侍女との間にもうけた子とも、北条氏照の落胤という説もある。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めにて狩野一庵は八王子城で討死。
子の狩野主膳は小田原城に詰めていたと考えられるが、同様に討死した模様だ。
浅野長政前田利家に仕官したともあるが、徳川家の旗本になったともあるが、小田原攻めの際には徳川側だったともある。
いずれにせよ、井伊直政のはからいもあったようで、新野左馬助の娘(狩野主膳の妻)は、井伊家の与力になっていた徳川家臣・木俣守勝(3000石)に再嫁したようで、既に狩野主膳との間に生まれていた子も養子となり、木俣守安と称した。

この木俣守勝はのち4000石にて井伊家・彦根藩の筆頭家老となっており、のち養子となっていた木俣守安が家督を継承している。
なお、彦根城の近くに木俣屋敷門が現存する。

木俣守勝~井伊家を筆頭家老として支えた名将

と言う事で、御前崎からもほど近い、新野左馬助の墓もご紹介したい。

新野の里に左馬武神社(さまたけじんじゃ)がある。

左馬武神社は新野左馬助(新野親矩、新野左馬介)を祀る神社になっており、下記の丘にある。

井伊家の恩人として知られる新野左馬助。

その新野左馬助の墓といわれる石塔が社の中にある。

御前崎にある新野左馬助の墓(左馬武神社)への行き方・場所ですが、下記のGoogleオリジナル地図の御前崎付近をご参照願いたい。
高源寺さんの東側に駐車場が用意されていた。

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