廿里の戦い(とどりのたたかい)~小山田衆と滝山衆が高尾で行った合戦


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廿里の戦い(とどりのたたかい)は、1569年10月1日に武田勢と北条勢が戦った合戦です。
廿里原古戦場としての場所は、だいたいJR高尾駅の甲州街道付近となります。
廿里古戦場、十十里原古戦場、十々里古戦場など色々な書き方がありますが、大きな合戦ではないのど、こんなところで戦(いくさ)があったなんて、知らない方が大半だと存じます。

なお、戦国時代の当時はまだ、甲州街道は主要街道ではなく、間道でしたので、ご確認申し上げます。
当時、甲州から八王子へ小仏峠を抜ける事はあまりなく、案下峠(和田峠)を越えるのが普通でした。
高尾にも初沢城がありましたが、北条家はあまり重視しておらず、北条勢の防衛としては浄福寺城にて案下峠(和田峠)から侵入する敵を警戒していました。

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武田勢は本隊が滝山城を包囲していましたが、別働隊として小山田信茂(小山田左衛門尉信茂)ら小山田衆は、9月20日に岩殿城を出発し、上野原城主・加藤丹後守が加わって、夜までに与瀬と小原に着陣します。
そして、10月1日になって、北条氏照が予測していなかった小仏峠を越えて駒木野へと降りたのです。
その数は900~1000程度であったと言われています。

急報を受けた滝山城主・北条氏照(北條氏照)は、横地吉晴(横地監物吉晴)、近藤出羽介、中山勘解由ら2300を迎撃に向かわせました。
また、廿里山には北条側の要害(廿里砦)があったと言われており、来襲した小山田勢に鉄砲を浴びせたと言います。

しかし、小山田勢が廿里砦を落としたあとに、援軍の滝山衆が到着したようで、結果的に小山田衆が待ち伏せる形になり、廿里の戦いは小山田衆が優勢に戦ったようです。
滝山衆は金指平左衛門尉、野村源兵衛尉など251名が討死し、武田信玄の本陣に首が送られたと言います。

その後、滝山城を包囲していた武田信玄らは、滝山城を三の丸まで攻め込みました。

廿里で合戦があったことし示すものは下記の道路脇にあります。

廿里砦の麓を通る、バス通りでして、その坂道途中に八王子市教育委員会が設置した「廿里古戦場の説明板」があります。

JR高尾駅からだと徒歩約5分です。
下記の地図ポイント地点ですが、駐車場はありませんので、高尾駅側の道路沿いにある100円パーキングに止める必要があります。

廿里砦の場所は、現在の多摩森林科学園の場所と推定されていますが、この施設は研究機関なので敷地内は立入禁止です。

そのため、西側の白山神社があるほうから、廿里砦と思われる山の半分くらい、見学可能になっています。

下記の地図ポイント地点が、白山神社の参道入口となります。

ただし、白山神社の付近にも駐車場がないので、今回、私が利用した駐車場はこのページ最後に記載しておきたいと思います。

白山神社は小さな地元の氏神様です。
その、社殿の左脇からが、廿里砦の登り口となります。

中腹の曲輪に、白山神社の本殿があるため、山道が一応整備されています。

夏場は虫除けと熱中症対策が必要だと思われます。
下記の階段をあがったところが、白山神社の本殿となります。

白山神社の本殿は、1553年に、滝山城主・大石綱周(大石左衛門尉綱周)が造営したとされています。
結構、広めの曲輪になっています。

しかし、ここはまだ中腹ですので、白山神社・本殿の右側より、まだ先に登って行ける道があります。

まあ、ちょっと登っただけで、辿りついたところが最高所の平場でした。

いわゆる本丸であったものと推測致しますが、最高部には「祠」もありました。
この最頂部から、西側と東側へと道らしきものが伸びていましたが、更に進むと、またこのピークに戻って来ないといけないように見えます。
せっかく登ったのに、下ってまた登ると言う、何度も上り下りする登山は大嫌いなので、ここを最後に戻りました。

上記は、白山神社から高乗寺城の山を撮影したものですが、戦国時代に高乗寺城が機能していたのかは、よくわかっておらず、すでに廃城であった可能性もあります。

さて、今回、廿里の戦いの合戦場を訪問するにあたり、利用した駐車場は下記の地図ポイント地点です。
すぐ北側のコインパーキングは平日にもかかわらず「満車」でしたので、ここの銀行の100円パーキングに止めさせて頂いた次第です。

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