八王子城

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 はじめに

 滝山城津久井城も関連した三増峠の戦いから21年後、小田原北条氏は豊臣勢の攻撃を受け滅亡することになるが、その時、津久井城とも密接な状態にあった八王子城などを取り上げた。

 小田原の役・八王子城落城

 武田の小田原攻めの際、落城寸前になった経緯がある滝山城は、南からの攻撃に弱点があることが明らかとなり、北条氏康の三男・北条氏照はより強固な防御城をと八王子城を築城。1584年頃に八王子城に入っている。
 標高466mの山を生かし、石垣で固めた山城構築を行ったとされ、八王子城の規模は大きく、城部分だけでも40万坪と関東屈指の山城となった。北条氏の築城技術が見受けられる。
 北条氏照の家臣・間宮綱信(間宮若狭守綱信)が使者として1580年に織田信長の築城した安土城を訪れており、安土城と同じような作りがあるようだ。その為「関東の安土城」とも言われる。豊臣秀吉小田原攻めをした際には、まだ未完成な部分があったと思われる。

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 1590年、天下統一を目指す豊臣秀吉は小田原北条攻め(小田原攻め)を行い、4月6日箱根湯本の早雲寺に本陣を据える。淀殿だけでなく、参戦した武将の妻子も箱根に呼ぶなど、戦とは思えぬ余裕ぶりである。
 小田原城を21万の大軍で包囲するだけでなく、関東の北条諸城も包囲。
 4月20日に松井田城が本丸まで攻め込まれ、北条重臣の大道寺政繁が降伏。
 続いて、厩橋城箕輪城が陥落。4月27日には江戸城も開城。5月初旬には大道寺政繁が豊臣に人質として子を取られており、豊臣勢を道案内して、忍城河越城松山城が降伏。5月22日に岩付城、6月14日には鉢形城も大道寺政繁の手引きにより落城し北条氏邦は捕えられた。

 確実な史料は少なく不明な点も多いが、この頃に八王子城も包囲されたと考えられ、豊臣側北国軍として出陣していた前田利家上杉景勝真田昌幸ら15000が八王子城を包囲した。
 小笠原長時の旧家臣で真田昌幸に仕えていた穂高盛員や、まだ24歳だった真田幸村村上義清の子で上杉景勝に仕えていた村上政国、元は北条家臣だった藤田信吉、知将で知られる直江兼続、前田家の前田慶次郎なども豊臣勢として八王子城攻めに参加していたようだ。
 また、緒戦で豊臣秀吉に降伏していた旧北条家臣の大道寺政繁、上田氏、難波憲次、木呂子友則、金子家基、山田伊賀守、小幡上総守らも八王子城攻撃の先鋒を務めている。
 北条一族でも最も強硬派だった城主・北条氏照は、豊臣軍本隊に対応すべく、滝山衆4000を連れて小田原城に入り不在。
 八王子城を守り、付近の農民、職人、女、子供と、とにかく人を城内に入れ、約4000(2000とも、3000とも?)で守っていたが、圧倒的な敵の兵力に逃亡する者も多かった。地図の下は、八王子城を守備した北条家臣の記録。

 奉行衆
 狩野一庵(北条氏康時代には小田原評定衆筆頭)、間宮綱信、横地与三郎、大石氏、近藤綱秀(下野榎本城主)、横地監物吉信、布施刑部少輔景尊、小田野源太左衛門、平山綱景、大石照基、専正軒、設楽、一雲、藤部、狩野刑部大輔、藤曲、長野、大石信濃守、大石四郎右衛門、布施美作守、由木左衛門、中島大蔵丞、大竹丹後、鈴木弥五郎など。

 滝山衆
 由木氏、大石氏、布施氏、横地氏、近藤氏、進藤氏、狩野氏、中島氏、長野氏、藤曲氏、設楽氏、大竹氏、三田氏、師岡氏、篠橋氏、久下氏、竹内氏、神田氏、塚田氏、豊泉氏、宮寺氏、原嶋氏、馬場氏、黒沢氏、新氏、宮倉氏、野口氏、大野氏、井上氏、福岡氏、木崎氏、和田氏、小佐久氏、滝上氏、並木氏、二ノ宮氏、加治氏、毛呂氏、岡部氏、平山氏、賀沼氏、境野氏、石川氏など。

 元清戸三番衆
 三田治部少輔、師岡采女佑、藤橋小三郎、久下兵庫助、竹内藤十郎、神田与兵衛、神田半三郎、塚田大炊助、豊泉十兵衛、豊泉隼人、豊泉惣五郎、豊泉半十郎、豊泉惣二郎、宮寺四郎左衛門、宮寺与七郎、宮寺掃部助、師岡伝左衛門、師岡兵部丞、師岡兵庫助、師岡九郎五郎、師岡新右衛門、原嶋孫二郎、原嶋善六郎代、宮倉源二郎、野口刑部丞、大野孫六郎、井上半助、久下小三郎、神田左京亮、福岡藤三郎、木崎又兵衛、和田左京亮、小佐久、滝上助九郎、並木、二宮、加治弥六郎など
 
 三沢衆  ※三沢とは、百草園と高幡の間、湯沢、中沢、小沢の三沢にあった村で、北条氏照直属の武勇高い武士集団として知られていた。
 三沢十騎と呼ばれた。棟梁で三沢村の名主、土方弥八郎。(先祖は高幡氏)  土方平左衛門尉、土方善四郎。
 滝山城の弱点、東南を守備した。また、村の男衆は全員、八王子城に篭るよう、北条氏照から要請されていた。

 由井衆(由木衆)
 大石一族と家臣団。小田野源太左衛門、小田野新左衛門、小田野肥後守、大石左馬助、来住野大炊助、大向乗吉、森田重吉、野口四郎左衛門、野口五郎左衛門乗信、野口大炊助、野口与一、野口与七郎、大福田、積善庵、平内、小宮清綱、布施兵庫太夫、金子大蔵丞、原嶋新三良、乙幡勘解由態忠、
 金子掃部助は跡目を、宮寺与七郎に継がせた。
 座間の鍛冶職人だった鈴木弥五郎。(大石氏の御用を務めていた。)

 油井領
 町田小山田、町田上溝、町田下溝、多摩の落合を含み、座間、相模原地域の北条氏照本領の家臣。

 諸家臣
 荒木氏、荒川氏、上田氏、道祖士氏、依田氏、力丸氏、山田氏、御嶽氏、山上氏、伊奈氏、比企氏、熊沢氏、桜井氏、中村氏、大河内氏、山口氏、大串氏、本田氏、細萱氏、毛呂氏、米山氏、大貫氏。

八王子城の悲劇に続く
八王子城の訪問記
間宮善十郎と間宮康俊~北条家臣と間宮林蔵・杉田玄白の意外な関係

 

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