大阪夏の陣秘話~大阪城脱出を決意した淀殿の侍女・おきくの逃亡録


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大阪夏の陣で戦ったのは、男たちばかりではない。
大阪城にいた豊臣秀頼の母・淀殿や妹の常高院、乳母の大蔵卿局などのか弱い女性たちも、戦の恐怖と戦う立場を強いられた。
そのような状況下で、意外な行動に及んだ一人の女中がいた。

その人の名は、おきく―。

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本人の証言をもとに編纂されたと伝わる『おきく物語』から、彼女のとった行動を追ってみたい。

◆家は浅井家の家臣

おきくは、慶長元年(1596年)生まれ、近江国出身。
幼少の頃より豊臣秀吉の側室・淀殿に侍女として仕えた。

彼女の祖父は山口茂介といい、主君は浅井長政
千二百石扶持の足軽をまとめる小頭であった。
かつて藤堂高虎が浅井家に足軽として仕えていた頃の上司だったともいわれる。

おきくの父は、小川茂左衛門。
豊臣方に仕える下級武士として大阪夏の陣を戦うことになる。

◆脱出を決意

元和元年(1615年)5月7日、大阪は激しい戦火に包まれていた。
真田幸村徳川家康の本陣を急襲し、あと一歩のところまで追いつめて戦死した天王寺口の戦いも、この日に行われた。
その頃、おきくは淀殿と一緒に大阪城にいた。20歳のときである。

その日、おきくは大阪城長局にいて、そば麦粉でそば焼きを作るように下女に言いつけた。
激闘と混乱の続く城外と違い、城の中は比較的穏やかな雰囲気であったことが伺いしれる。

しかし、おきくが長局を離れて千畳敷の縁側を歩くと、外では生々しい戦乱の傷跡が目に飛び込んできた。
眼前には、いくつもの火の手が上がっていて、鉄砲の音や武士たちの猛々しい声も聞こえてくる。
そこで初めて自身が戦場の渦中にいることを悟ったおきくは、心の中で密かに城外脱出の決意を固めるのである。

局に戻ると、矢玉から身を守るため、帷子と腰巻をそれぞれ三枚重ね着した。形見の品は、秀頼から拝領した鏡。
それを懐に忍ばせて台所へと向かう。そこには、豊臣家臣の武田栄翁がいて、取り乱す女中やけが人たちに冷静になるよう、必死で呼びかけていた。
中には脱出を試みようとする者たちもいて、その場に踏みとどまるよう説得する栄翁の声が何とも悲痛である。
しかし、女中たちは栄翁の制止も無視して台所から遁走を試みた。その中に、おきくの姿もあった。

◆常高院と合流

城外に出たおきくは、祖父や父との縁を頼りに、松原口の藤堂高虎の陣へと向かった。
周囲は比較的静かで、見たところ、敵兵や負傷兵の姿は見えない。

おきくが頼りにした藤堂高虎とは、深い因果があった。先に説明した通り、高虎は浅井家の足軽だった頃、小頭を勤めたおきくの祖父・茂介の部下だった。
その頃の高虎は貧しく、朝ごはんもろくに食べずに出仕していた。
見かねた茂助の妻が、家に呼び寄せて茶漬けなどをふるまい、温かくもてなした。
やがて浅井家が滅亡。おきくの父・茂左衛門は流浪の浪人となる。そこで声をかけたのが、有力武将として成長した藤堂高虎だった。
藤堂高虎は茶漬けの恩返しとして、茂左衛門を三百石で召し抱えたという。
そのような経緯から、おきくは高虎なら何とかしてくれると淡い期待を抱き、松原口へと向かったのである。

高虎の陣に向かう途中、物陰から見知らぬ男に声をかけられた。
男は刃物をつきつけ、金品を要求。普通であれば女一人、物おじするところを、おきくは懐から竹流し金二本を与え、もっとあげるから高虎の陣まで案内してほしいと言葉巧みに物取り男の懐柔を図った。
おきくの底知れぬ胆力に気おされたのか、男は素直にその要請に応じ、先を歩いて案内した。

物取りの男を道先案内人として松原口へ向かう途中、武士におぶわれる常高院(お初京極高次の妻で、淀殿の妹)一行と出くわす。
常高院は和睦の使者として徳川陣営に向かうところで、数人の侍と女中たちに付き添われていた。
何を思ったのか、おきくは咄嗟の判断で高虎の陣に向かうことをやめ、常高院一行のあとについてそのまま同行することにした。

常高院一行は徳川陣営に向かうことなく大阪を抜け、森口(現・守口市)まで落ち延びたらしい。
わびしい民家に身を寄せ、しばらく世話になるうちに、幕府から大阪城の侍女たちはお咎めなし、とのお触れが出された。
ほとんどひらめきに近い判断で始まったおきくの城外脱出と逃避行は、何とか無事に終わりを迎えることができたのである。

◆その後

おきくはその後、浅井家出身の京極マリアの娘・松の丸殿(京極龍子)に仕え、京都で余生を送った。
おきくの嫁ぎ先は明確には分からないものの、備前岡山藩の医師であった田中意徳がおきくの孫を名乗ったことから、意徳の祖父と結婚したことが想像される。

おきくは生前、孫の意徳に大阪夏の陣での自分の体験を語り聞かせた。
意徳の話を聞いた誰かがこれを筆録し、自身の感想と合わせて編纂し『おきく物語』が誕生した。
夏の陣を生き抜いた証言者の記録として、貴重な史料である。

父の小川茂左衛門は、豊臣方として夏の陣を戦い、戦死したとされる。
藤堂高虎のもとを離れ、秀頼に出仕を願い、具足を賜った父に、おきくは赤と白の指物をつくってわたし、親子の今生の別れを惜しんだという。

おきくは延宝6年(1678年)、83歳で没した。

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