「龍潭寺」みどころと南渓和尚と呼ばれた南渓瑞聞とは~井伊家発祥の井戸も大河ドラマで注目


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南渓瑞聞(なんけいたんぶん)とは、井伊谷城主・井伊直平の次男である。
生年は不明。

戦国初期の武家では、次男は幼い時分から「出家」させられる事が多く、井伊家も当然のように2男は出家させられた。
こうして、南渓和尚(南渓瑞聞)はのちに井伊家の菩提寺・龍潭寺(りょうたんじ)の二世に就任している。

龍潭寺での出来事としては、桶狭間の戦いの前に当たる1560年1月1日の正月に、井伊直親が妻・奥山親朝の娘(奥山朝利の娘とも)と共に龍泰寺(後の龍潭寺)を訪れて、男子が授かるよう祈願している。
その祈願もあってか、翌年の1561年2月19日に、井伊直親の嫡男・井伊虎松(井伊直政)が誕生した。

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井伊直政1560年の桶狭間の戦いにて織田信長今川義元を討ち果たしたため、6月5日に行われた今川義元の葬儀では、南渓瑞聞が安骨の大導師を務めた。

「井伊家伝記」によると、1568年に、井伊家臣・小野道好が謀反を起こした際、井伊直虎や幼少の井伊直政を龍潭寺にて匿ったあと、一族の奥山朝忠をつけて、三河・鳳来寺へ逃れさせたとある。

1569年3月27日、徳川家康が堀川城を攻めた際、今川家臣の尾藤主膳、山村修理、竹田高正らが討死し、その亡骸を龍潭寺にて葬った。

1573年1月、武田信玄の家臣である山県昌景の軍勢が、柿本城井平城を突破して井伊谷へ乱入し、南渓和尚の龍潭寺は炎上している。

1574年、井伊直虎や井伊直政の生母・奥山親朝の娘(奥山朝利の娘)と話し合って、井伊直政を徳川家康に出仕させることを決定したとあり、南渓和尚は参謀的役割を果たしている。
そして、1575年2月15日、井伊直政を徳川家康の小姓として出仕させることに成功した。

1584年、小牧・長久手の戦いにて井伊直政が先陣を務めると聞くと、南渓和尚は弟子の昊天傑山に龍潭時に伝わる「日月松の扇」を持たせて同行させたと考えらる。

1586年8月6日、井伊直政は生母・奥山親朝の娘の一周忌法要を行い、南渓瑞聞に寺領を寄進している。

1589年9月28日、南渓瑞聞は没した。

龍潭寺

龍潭寺(りょうたんじ)は井伊谷城から車で5分くらいの距離にあります。
下記は1656年に建てられた山門です。

山門を入ると、そこは「城」?と思わせるほどの、立派な石垣造りで、虎口になっていました。
※各写真はクリックすると拡大します。

大破風の庫裡は、1815年に建てられたものだそうで、有料拝観の受付にもなっています。

龍潭寺の廊下は、歩くときしみ音が鳴る「鴬張り」(うぐいすばり)になっていました。左甚五郎作だそうです。

本堂は第27代・井伊直與が1676年に再建した建物です。
内部も大変立派でした。

井伊家霊屋

江戸時代の1742年に建立された井伊家霊屋も有料拝観で見学する事ができます。
下記の開山堂の奥にあります。

龍潭寺の井伊家霊屋は下記の写真です。

下記は国指定の庭園から見た、井伊家霊屋です。

井伊家元祖の井伊共保公、22代の井伊直盛公、24代の井伊直政公の木像が安置されている他、幕末の大老・井伊直弼公の位牌もお祀りされているそうです。

井伊直虎・井伊家墓所

龍潭寺の西側にある墓地のちょい奥(井伊谷宮に抜けられる通路沿い)には、井伊直虎の墓と井伊家墓所があります。

下記写真の左が井伊直盛の墓で、右側が初代・井伊共保の墓です。

左から24代・井伊直政の墓、井伊直親・正室の墓、中央が23代・井伊直親の墓、井伊直虎の墓、一番右が井伊直盛・正室の墓となります。

なお、井伊家墓所の手前側には、井伊家に貢献した家臣らの古びた墓がありますが、新野左馬助の墓、井伊氏の一族中野氏の墓奥山氏の墓鈴木重時の墓は、各ページにてご紹介させて頂いております。

霊屋は有料拝観でしか行けませんが、墓所は無料でもお参り可能です。

下記は正式な門となる龍潭寺の仁王門です。

龍潭寺の拝観時間は9:00~16:30で、観光所要時間は、龍潭寺の有料拝観も行って、隣接する井伊谷宮も拝観すると約60分~90分といった感じです。
12月22日~12月27日にまとまった休館日やその他日程でも臨時休館ありますので、ご確認申し上げます。
無料の駐車場は大型バス12台、乗用車45台で下記のような感じです。

アクセス・行き方ですが、無料駐車場は下記の地図ポイント地点。
もし、龍潭寺の駐車場が満車でしたら、隣の井伊谷宮の駐車場に止めて、井伊谷宮と龍潭寺の両方を訪問すると良いかもしれません。
※ページ最後に「井伊家発祥の井戸」もご紹介致している他、別ページに特集した龍潭寺の庭園へのリンクもあります。

井伊家発祥の井戸

龍潭寺より南側の牧原医院近くに「井伊家発祥の井戸」(共保公出生の井戸)があります。
今でこそ道はありませんが、龍潭寺の参道の延長上にありますので、その昔は関係したのでしょう。

伝承としては井伊谷の八幡宮神主が、1010年元旦に、御手洗の井の傍らにて男児の捨て子を発見したと言います。
その子の顔立ちは端麗で瞳が明るく、貴人の顔相で、また聡明であったとされ、しばらく神主に育てられました。
そして、7歳のときに遠江国司・藤原共資の養子となってふ、藤原共保と称しました。
その後、井伊谷に館を構えて名字を「井伊」と改め井伊共保と名乗り、井伊家の初代とされます。

上記の通り井戸が残っており、この写真の奥にある、現在の田んぼの中に「堀」と「土塁」を巡らせて、2郭に別れた井伊家初代の館があったと推定されています。
堀を含めた大きさは龍潭寺の敷地の2倍ほどありますので、かなり大きかったようです。
私の感覚からすると、堀を巡らせていた前方後円墳を整地して、大小の正方形の「郭」を作り、堀も真四角に改良したように思えます。
事実、井伊谷の周辺には古墳群が多数発見されていますからね。
そして、いつ頃からかはわかりませんが「地蔵寺」となっていたようです。
ただし、前述致しました通り、現在は真っ平らな田園となっており、その面影を知る事はできません。

また、彦根藩井伊家が後に「彦根井筒」または「彦根橘」と言う家紋を使ったのは、この井戸の側に「橘」が生えていたことに由来します。

井伊家発祥の井戸の場所は下記の地図ポイント地点となります。
龍潭寺からも近いので、セットで訪れておきたいところです。

龍潭寺の素晴らしい庭園特集とその由縁などはこちら
昊天と傑山~龍潭寺の僧で南渓和尚の弟子の井伊家での活躍
井伊谷城と井殿の塚の訪問記~駐車場情報も、是非セットでご訪問を
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