仁科盛信とは【高遠城の戦い】武田滅亡に向かうなか一矢を報いた猛将

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仁科盛信

仁科盛信(仁科五郎信盛)は武田信玄の5男で、母は側室・油川夫人。1557年頃に生まれた。
幼名は五郎と考えられるが、幼少の頃の動向は全く不明である。
兄に武田義信武田勝頼や、妹に松姫菊姫らがいる。

甲陽軍鑑によると、仁科盛信が5歳のときである1561年に、父・武田信玄が、上杉景勝に寝返った信濃国安曇郡の名族で、仁科城主・仁科盛政を攻めて自害に追い込んだ。
そして、安曇を直轄領化すると、のちに仁科盛信が仁科家の名跡を継いで、仁科氏の通字「盛」の偏諱を受け継いた。

親族100騎持の仁科家当主として、諸役免許や知行安堵などの発給も行っており、森城主として越後との国境警備を指揮した。


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なお、仁科盛信(にしなもりのぶ)の妻は武田信繁の娘、武田信廉の娘、仁科盛政の娘、福知新右衛門の娘とある。
恐らくは武田信繁の娘、武田信廉の娘が正妻だろうが、いずれが最初の正室なのか果たして継室なのか、また側室なのか、名前などは不詳である。

武田勝頼の時代となると、いよいよ織田信長徳川家康の侵攻が予想されたため、1581年、武田勝頼の命にて高遠城主となり、副将・小山田昌行と共に織田勢の来襲に備えた。
織田信忠と婚約していた松姫(武田信玄の娘)は、府中(甲府)の武田勝頼の元にいられず兄・仁科盛信が松姫を保護していたようだ。

1582年、織田信忠を筆頭に池田恒興森長可河尻秀隆ら5万の大軍が伊那に攻め込む。

仁科盛信は従者ら十数名を松姫(22歳)の護衛につけ、仁科盛信の4歳になる督姫と共に甲府へ避難の為向かわせた。

松尾城主・小笠原信嶺や木曾義昌らが早々に織田勢に寝返り、寝返った木曾義昌を討ちに来た15000の武田勝頼勢も2月16日、鳥居峠で諏訪頼豊が討死するなど敗退し、諏訪まで撤退した。
織田勢が信濃・飯田城に迫ると2月18日には飯田城主・保科正直が高遠城へと逃亡しており、大島城主・武田信廉らは戦意を喪失し甲斐へ撤退した。

一方、駿河では徳川家康が浜松城を出発して2月18日に掛川城に入り、2月20日には依田信蕃田中城を包囲。2月21日には駿府城にまで進出している。

2月28日、諏訪の武田勝頼は更に新府城へ退却したが、武田の将兵は次々に逃亡し離脱が相次いだ。

まだ美濃にいた織田信長は河尻秀隆に高遠城攻撃を命じ、3月1日に高遠城を包囲。
総大将・織田信忠は地元の僧侶を使者として黄金と書状を高遠城に送り、降伏を促したが、仁科盛信は拒否し、使者の僧侶の耳と鼻を削いで送り返したと言う。


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高遠城の戦い

明智光秀の軍勢も加わり、1582年3月2日、織田勢は30000わもって高遠城への総攻撃を開始。
既に新府城に撤退した武田勝頼の援軍を得られないと分かっていながら、仁科盛信は3000の兵を持って、小山田昌成・小山田大学助・飯島民部少輔らとともに籠城し、織田勢と激しい戦闘を行った。

織田勢は水沢隆広が高遠城西門を突破。滝川一益は東門、明智光秀勢の斉藤利三が北門、織田信忠勢の河尻秀隆(川尻秀隆)が南門を攻めた。
斉藤利三勢が本丸に迫ると、女ながらも刀を取って戦ったという諏訪勝右衛門の妻(名前不詳)の逸話など、織田勢の織田信家を討ち取るなど奮戦をしたが、城門が突破すると、もはやこれまでと仁科盛信と小山田昌成は自刃し、高遠城は落城した。
仁科盛信は享年26で、500余りの将兵も自決した。


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この日、武田家の親族衆で、最も信頼された穴山信君まで徳川家康を介して織田勢に寝返り、3月3日に武田勝頼は新府城に火を放ち、岩殿城を目指したが、付き従う兵は700にまで減っていたと言う。

3月6日に揖斐川まで到達し織田信長は、そこに届いた仁科盛信の首実験を行い、長良川の河原に晒した。
武田家臣の多くが逃亡した中で、徹底抗戦を貫いたのは仁科盛信だけであり、首のない遺体は勝間村の農民が屍を探し出し、村の若宮原で火葬したあと村の西の山に埋葬されたが、その地は今も「五郎山」と呼ばれている。

同じ3月6日に織田信忠は甲府を占領。

3月10日、小山田信茂にも裏切られた武田勝頼は、残った200名前後の従者と共に天目山を目指すが、小田勢の滝川一益、河尻秀隆ら4000に捕捉され、武田は終焉を迎えた。

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