村上吉継とは~日本最古の水軍城である甘崎城(天崎城)も


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村上吉継(むらかみ-よしつぐ)は、来島村上家の重臣で、伊予・甘崎城主であるが、生没年などは不明。
最初は村上助右衛門尉と称しており、のち村上河内守吉継となっている。

村上吉継の本拠地・甘崎城(あまざきじょう)は、天崎城とも呼ばれる。
伊予・大三島の東端にある瀬戸甘崎から160mほど沖にある島城で、古城、岸の城、荒神城とも称される日本最古の水軍城である。

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甘崎城(天崎城)は、潮が引くと島に渡る事ができる陸路ができ、幾重にも石垣が築かれており、満潮時には没しないと言う「海中縄張り」になっている。

※現在でも干潮時に長靴などで渡れますが、危険もありますので充分に計画を練って、自己責任の上、渡って下さい。4月~8月の年数回、海上ウォークも実施されます。

話を戻すが、村上吉継は大三島の大山祇神社(三島社)「地頭神主」でもあったようで、文化人としての教養も深かったようだ。

村上吉継の所見は1554年9月、岩伽羅城の戦い(岩伽羅城合戦)があった際に、高野山上蔵院に報告した書状。
1561年には、豊前・蓑島沖の海戦では、能島・村上武吉、村上吉允、村上武満、村上吉郷、乃美宗勝らと水軍にて毛利家に協力し、大友水軍を討ち果たした。

1567年10月に来島村上家の当主・村上通康が死去すると、幼くして家督を継いだ村上通総(来島通総)を補佐して一族を率いた重鎮・村上吉継であるが、1564年には河野家の奉行としての活動も見られる。

1576年7月の第1次木津川口の戦いにも来島村上水軍を率いて、毛利水軍に加わり、九鬼嘉隆ら織田勢の水軍に勝利した。

1576年8月、西園寺宣久が鞆に到着した際、村上吉継は甘崎城から迎えの船を出している。

1582年、織田信長本能寺の変で横死した年から、村上吉継の動向がつかめなくなる。

豊臣秀吉が瀬戸内海の覇権を握ったあと、甘崎城(天崎城)は今治城に入った藤堂高虎の属城となったようで、従弟・藤堂良勝が甘崎城主となっている。

1608年に藤堂高虎が宇和島藩(宇和島城)へ移封となると、甘崎城も廃城となった。

下記地図のポイント地点は、甘崎城(天崎城)の撮影ポイントでもあり、干潮時に海を渡る際の入口でもある場所。

古城島(甘崎城跡)とは

日本最古の水軍城である上門島海防城でもあった甘崎城を改めてご紹介致します。

大三島の東には古城島(甘崎城跡)(標高18m)があります。天崎城、古城、岸の城、荒神城とも呼ばれ、代々、越智氏、今岡家の今岡民部大輔・今岡伯耆守などが城主を務めました。

白村江の戦いに破れた智天皇は、唐の軍勢が日本に侵攻してきた場合に備えて、671年に築城させたと言う、日本で最古の水軍城で、当時は上門島海防城と記されています。

大三島の160mほど沖にある島全体が「甘崎城」(あまざきじょう)となっており、4月~8月に年数回だけ干潮時に陸続きとなる城跡で、現在は無人島です。
※年によっては1回もチャンスが無い場合もあります。また、渡るのは自己責任で、泳いで渡るのは大変危険ですので、念の為記載しておきます。

戦国時代には瀬戸内海を制覇した村上水軍の本拠地の1つとして来島城主・村上通康の支配となり、村上吉継が城主を務めています。

1576年8月には、西園寺宣久が鞆の浦から、板島丸串城(宇和島城の前身)に向かう際に、村上吉継の甘崎城にて1泊しています。

1600年、関ヶ原の戦いのあと、今治城主となった藤堂高虎の領地となり甘崎城には藤堂良勝(藤堂大輔)が入り、更に石垣などを改修し「総石垣」としたようです。
石垣は海が引いた際に陸路での攻撃を防ぐためのものです。

礎石と瓦も、甘崎城跡に転がっていることから、屋敷などの建築物もあったようです。

しかし、藤堂家は1608年に伊勢・安濃津への転封となったため、甘崎城は廃城となっています。
残された石垣の多くは、幕末になって大三島の塩田や水田開発などに再利用されたようで、現在の石垣は干潮時に僅かに姿を表すだけになっています。

機会があれば是非、渡ってみたい甘崎城ですが、さすがに関東からだとそうそうタイミングが難しいです。
なお、渡れたとしても陸になっている時間も30分ほどと、非常に短い場合が多いようですので、かなり危険を伴います。
普通の靴など、安易な装備では無理なところですので、きちんと計画を立てて、無理せずに安全第一にて訪問したいところです。

なお、下記のような「足洗い場」も近くにありました。

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