5分でわかる 軍師・黒田官兵衛

中津城


NHKの2014年大河ドラマ「軍師 官兵衛」で、V6の岡田准一さんが演じる黒田官兵衛が大変注目された。

黒田家は、目薬屋で財をなし小寺政職と言う、播磨(姫路)の大名に仕える家老でしたが、黒田官兵衛は、優れた知略と戦術によって、敵対した赤松政秀や毛利勢からの攻撃も、少ない兵力でも果敢に撃退するなど頭角を現しました。
しかし、織田信長豊臣秀吉と言った優れた能力と実力の持ち主が姫路に迫ると、敵の武将を素直に評価し、無償で自分の居城・姫路城をそっくり提供するなどして全面協力し、織田信長の臣下となると竹中半兵衛蜂須賀小六らと豊臣秀吉の「軍師」として、兵糧攻めや水攻めの立案もし活躍しました。

キリシタンを信仰した荒木村重が織田信長に反旗を翻した際には、我が身を顧みず単独で有岡城に説得に赴きましたが、戻ってこない事に織田信長は裏切ったとして、人質であった子の黒田長政を処刑するように豊臣秀吉に命じます。
しかし、困った豊臣秀吉を見て、竹中半兵衛がその黒田長政を密かに匿いました。
黒田官兵衛は牢に約10ヶ月捕えられ、足や腰を悪くし、不自由な体になってしまいましたが、忠実な家臣である栗山善助母里太兵衛井上九郎右衛門らに救出され、子の黒田長政も命を落とすことなく、姫路城にら帰還したのです。
また、有岡城の牢で世話になった敵の家臣・加藤重徳の子を自分の養子(黒田一成)として養育もしました。
(下記写真は有岡城跡)

有岡城

明智光秀による本能寺の変で、織田信長が亡くなると、豊臣秀吉に天下を取るチャンスだとして、毛利輝元と和睦して中国大返しを成功させ、三法師擁立の清洲会議後に柴田勝家を敗り、また、毛利輝元と宇喜多直家の和平交渉を成功させ、実質的に豊臣臣下に加えるなど外交面でも手腕を発揮し、豊臣秀吉を大きく助けました。

その後、四国平定後に高山右近蒲生氏郷らの勧めによってキリスト教に入信し、島津義久を降伏させた九州平定でも活躍するなどして、豊臣秀吉の天下統一に大きく尽力しました。

後藤又兵衛も家臣に加わり、いち大名の家老から、九州の中津城12万石を拝領する出世を果たしますが、この黒田官兵衛の才知を高く評価していた豊臣秀吉も、その実力を次第に恐れるようになります。
(下記写真は中津城)

中津城

そんな、豊臣秀吉の心情を察知した黒田官兵衛は、バテレン追放令が出ると高山右近らとは異なり、すぐさまキリスト教を辞め、自分には野望がないと示す為、黒田長政に家督を譲って隠居しますが、結果的に隠居は許されず、大阪城の近くに屋敷を与えられ、引き続き豊臣秀吉の側で采配を振るいました。

小田原攻めでは、小田原城の開城交渉を行い、敵ながら黒田官兵衛の人柄に惚れ込んだ北条氏直は、家宝を黒田官兵衛に授け、その北条家伝統の家宝は今でも博物館に現存します。

やがて豊臣秀吉が亡くなり、前田利家も死去すると、天下の実力者は徳川家康と見て接近し、石田三成と敵対すると、関ヶ原の戦い直前には、大名の妻子を人質に取ろうとし、細川ガラシャが自害すると言う事件も起こりますが、正室・光姫と、黒田長政の正室・栄姫は栗山善助・母里太兵衛らの策で脱出させる事に成功。




 
関ヶ原の戦いでは、黒田長政が黒田勢を率いて、西軍の小早川秀秋吉川広家などを調略して東軍に寝返らせるなどし、徳川家康から「一番の功労者」と称されました。
その時、黒田官兵衛は九州・中津城にいましたが、手薄となっている九州の敵を攻略する好機と、蓄えていたお金をすべて使い、浪人や領内の百姓など兵士として雇いました。
すぐさま10000人が集まると、その即席軍を指揮し、たった約2ヶ月で加藤清正らと共に九州一円を制覇します。
しかし、徳川家康の停戦命令を受けると素直に従い、九州の諸州諸城を一つ残らず徳川家康に差し出しました。
力を付けることを警戒した徳川家康は、黒田長政への福岡52万石の恩賞のみに留め、以後、黒田官兵衛は太宰府天満宮内に草庵を構え、隠居生活を送りました。
(下記写真は黒田官兵衛)

黒田官兵衛

以上、簡単に黒田官兵衛についてご紹介致しました。
NHKの発表時はマイナーな武将だな?と感じた方も、黒田官兵衛について少し理解できると、見逃せなくなったのではないでしょうか?
できる限り詳しくご紹介した「詳細版」や、黒田官兵衛の家臣や正室など、関連人物のご紹介もございますので、もしよろしければ、引き続き下記をご覧ください。

黒田官兵衛の詳細版はこちら

 

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